稀勢の里が19年ぶりの日本出身横綱となりましたね。

日本人横綱の誕生は相撲ファンにとって、そして日本人にとって本当に心待ちにしていた日ではなかったでしょうか。

多くの苦労や厳しい稽古を乗り越えて横綱を掴み取った稀勢の里、会見でも本当に嬉しそうな表情ですよね。

引用元:http://jp.reuters.com
引用元:http://jp.reuters.com

 

そして印象に残っているのは、稀勢の里のお父さんが新聞社に寄せたコメントではないでしょうか?

 

 また、上に上り詰めたときは自分もしくは家族のためということから手を離れて、国家のため日本の伝統文化に気概を持って伝承しなければなりません。

さて、これからが大変です。今まで以上に稽古をこなし、自分を律し、より勉強して名実ともに誰からも模範になるような立派な人間になるよう努力しなければなりません。

そういった意味で「おめでとう」と言うよりはこれからはなお一層頑張らなきゃいけないと思うと気の毒になったというのが本音です。
(引用元:nikkansports.com)

 

ただ単に、息子を祝うコメントだけでなく、今後の日本の相撲界のことまで見据えた稀勢の里への期待が綴られた内容ですよね。

 

 

私もこれを読んだとき、「さすが横綱の父親!!」というような印象を受けました。

 

日本の相撲の今後と、そしてそれを背負っていく息子の稀勢の里に対してこんな素晴らしい言葉をかける父親ってどんな人だろうと、思う方も多くいらっしゃるかと思います。

 

ネット上でも、「職業は?」「年齢は?」など稀勢の里のお父さんのことについても検索されています。

なので、今回は横綱稀勢の里を育てたお父さんにフォーカスしてみたいと思います。

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稀勢の里の父親は何者?

上の写真の右側でニッコリと笑われているのが稀勢の里の父、萩原貞彦さん(71)

現在は、年金暮らしとなっているようで、仕事はされていないようです。

ネット上では「社長だった」とか「会社員だった」とかいろんな憶測が出ていますが、今のところ明確な情報は出ていません。

でも少し驚きのこんな事実もありました。

稀勢の里の父は元ボクサー??

稀勢の里の父貞彦さんは元アマチュアボクサーをされていたようで、実家にはサンドバッグがあり、稀勢の里も小さいころからパンチを打っていたんだとか。

「パンチは腰で打つが、相撲の突き押しも一緒。腰、ひざ、足。下半身の粘りが大事。あのモーションなしでの突き押しは、自然と身についている」と貞彦さん。
(引用元:nikkansports.com)

とボクシングの動作を相撲に取り入れていたんですね。

こういった違ったスポーツからいいところを取り入れるということが、稀勢の里の粘り強さや安定した勝利につながったのかかもしれませんね。

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稀勢の里への教育

男子に生まれてきたからには国技をやらせるのが義務」。土日の大相撲中継を見るのは当然。わが子には小2でまわしをつけさせた。そう仕向けた子が横綱に上った。
(引用元:nikkansports.com)

 

と、この頃から相撲道に対する強い理念を持たれていたようです。

また、幼少時代の稀勢の里も「褒められたことがない。」というほど厳しかったと語っていることから、父親としての厳格さが伺えますよね。

 

稀勢の里は中学まで野球もしており、エースで4番として活躍し、地元茨城の名門・常総学院から勧誘を受けたほどというからすごいもんですよね。

ということは、小学校2年生から中学までは、相撲と野球を両立していたということになりますね。

野球と相撲、ましてや父の教育が厳しい中での両立は本当に厳しいものだったのではないのかと推測します。

だからこそ、角界の北朝鮮と言われる鳴戸部屋での猛稽古に耐え、横綱に登り詰めることができたのではないでしょうか。

まとめ

稀勢の里を育てた父、貞彦さん。

 

小さい頃からの教育を見てみると、なんだか一貫した筋のようなものを感じることができますよね。

父親である前に「日本人としての誇りやあるべき姿」、「男として貫くもの」といった芯の通った人間なんだなということを強く感じました。

 

稀勢の里の何回も何回も横綱に挑戦するという粘り強さや、心の強さはこうした父親譲りのものなのかもしれませんね。

横綱として始まったばかりの稀勢の里ですが、今後の相撲界をさらに盛り上げてくれることに期待です。

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